「私は悪魔になってしまいました」

母の日に母親に生きている意味を聞いたとのこと。


誰にも相談できないことだもんな、「生きている意味」ってのは。「なぜ生きているのか」と提議して、答えを教えない年上の人はたくさんいるけど。誰かに答えを求めようとして相談したとしても、大抵「生きていればいいことある」といった無根拠な諭され方しかされないし。
いや、いいことはあるのかもしれないけど、確実じゃないでしょ。「出会いは必ずある。」というよくある言葉とは違う。これは変わっていく周りの環境*1のために出てくる確実な考えだから。


というようなことを考えると、大抵の相談相手の本心は「テメェのケツはテメェで拭け」なんですよ。所詮わかってくれる人なんてだっっれもいませんよ。ていうかわからないですもん、その人の行動を事細かに見て、その人にとって大切なものが何かを完璧に理解しないと。だから、相談は「溜め込んだものを吐き出すため」なんであって、相談される側も「理屈で諭してやろう」としちゃダメなんですよ。


悩んでいるやつに理屈で正しいことを言うのは、相談じゃない。結局、円滑な人間関係を取ろうとするには気を使わないといけない。だから、理屈が全てだと思い込む人にとって、円滑な人間関係を築くのは嫌なんです。


かといって今の彼女の身辺状態で自殺するのは別問題です。なぜ親に迷惑をかけるようなことをするんだ?


「悩んでいたからしょうがない」ではない。これは最も卑劣な方法で本当の悪魔になったと書いて「最悪」だ。

*1:周りに人気がいないという環境は除く