成績に関する考察

考えがまとまらないから、ここに書き下して行くことにする。ヒトとして生きて行くという点において、どーでもいいことになるのだろうが、今の時点ではそれはわからないので、書いて行こうと思う。

大きくわけて2つに分類される。

1つにはいい成績をとった場合。これにも予期出来た成績と予期出来なかった場合の成績がある。
予期できた場合、やってできなければそれはやっていないことになるので、できたという事は効率の良い入出力の結果が出ただけである。今後に生かせることもできるかもしれない。
予期出来なかった場合、それは運が良かっただけなのか、それとも予期出来にくい評価の仕方の科目であったのか…。
ここで気づくことがある。それはいい成績をとっても、実感として得るものがあまりないということである。確かに、過程の段階で得たものは今後生かせるかもしれない。しかし、これは断定できない。仮定なのだ。

もう1つは悪い成績をとった場合である。これも予期出来た場合と予期出来なかった場合について。
予期できた場合は、過程が悪かったのである事がわかっているので、改めれば良い。例えば、過程にかける時間が短かったのであれば、長くすればよい。それこそ、最大でも毎日やりゃ出来るんだからね。
では、予期出来なかった場合は。これも過程が悪かったと言える。悪い成績というのは過程が要因なのだから。
つまり、予期できたにせよできなかったにせよ、悪い成績は過程を改良すりゃいいだけなのだ。

ということで悪い成績の方が得るものがはっきりするし、今後に生かせる。失敗は成功の母とよく言ったものだ。
が、いい成績の方がこの競争社会の下だと、他人よりもアドバンテージが取れたことにはなる。これを自慢するなというが、それは別に自慢してもいいと思う。なぜなら、自慢された側にとっては自慢しているヒトから得るものもあるだろうし、いい判断材料になるからだ。そして、自慢しているヒトが次失敗すれば哀れなピエロになるだけである。むしろ、自慢していないヒトの方が狡猾であろう。そういうヒトを見極め、盗めるところは盗まないとダメであろう。まぁ自慢しないというのは、いい成績を取って当然だと自負しているのであり、その方法は盗めばいいだけである。

続きはまたいつか。